聖鯖を舞台に自由に生きる一人の漢の、身を削るような生き様を自由な文章でつづる日記。
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ある一人の少年の話
2006年06月22日 (木) | 編集 |
また夏が来る。

毎年8月が来ると、15日前後の熱い戦いがある。

俺は野球が特別好きではない。プロ野球はほとんど興味ない。
だが、高校野球は話が別だ。

1戦負けたら、それで終わり。
だからこそ、そこにはドラマが生まれる。
そのドラマを紡ぐ者も、見た者も熱狂する。歓喜する。涙する…。

今日はある一人の高校球児の話をする。

2年前、夏の甲子園で好投し、横浜をベスト8に牽引した涌井秀章投手。
今は西部で先輩の松坂投手と共に1軍の投手として頑張っている。

つい先日、十代最後のマウンドで今年8勝目を挙げた。
そのニュースを見て、彼のことを思い出したので、彼にちなんだ記事を書く気になった。


彼は高校時代、東北のダルビッシュ有君と並び称されるほどの投手だった。
だが、その実力以上に数々の不遜な言動が目立っていたように思われる。

正直、当時はダルビッシュ君同様私の嫌いなタイプの球児だった事は否定しない。

2年前の最後の夏。甲子園大会でベスト8で駒大苫小牧に敗れた後。
彼は応援団に挨拶を済ませると、そのままベンチに消えていった。
「未練たらしいことはしたくない」、と甲子園の土は持ち帰らなかった。

他の選手達は泣いている中、彼は泣かなかった。

だが、最後のインタビューで珍しい言葉を口にした。
辛い事ばかりだった」、と。

ここまでクールな言動を貫いてきた彼が、その裏づけの努力の影を見せた瞬間だった。


彼はその1年前の選抜で、決勝で先発を任されたものの、打ち込まれた。
新チーム結成後も、エースとなったが秋も結果は出なかった。

その後、走りこみの量を倍増した。
他の投手が、終わると動くこともできないメニューに愚痴一つこぼさず黙々と取り組んだ。

彼の練習着の背中には、このような言葉が印刷されていた。

「苦しいこともあるだろう。言いたいこともあるだろう。じっとこらえてゆくのが男の修行。」

その後、最後の夏。
東北のダルビッシュ投手と並び称される存在にまで成長し、松坂2世とも呼ばれた。
辛い練習の成果を十分に見せ付けた。


俺自信は苦しい事は黙って抱え込むが、言いたいことを堪えてるとは思えない。
堪えて生きるのも男だが、売られた喧嘩を買うのも男なのであるw
だが、彼の生き様は男としての1つのあり方として尊重したいと思う。
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